リアルな描写で自衛隊特殊部隊と日本を描くフィクション小説

本の概要

騒乱に乗じミサイル発射を企む北の軍部に対し、米国はピンポイント爆撃へと動き出す。だが、その標的近くには、日本人拉致被害者が―。日本は、この事態に対峙できるのか?政治家は、国民は、人質奪還の代償として生じる多大な犠牲を直視できるのか?そして、実戦投入される最強部隊の知られざる内実とは?特殊部隊・海上自衛隊特別警備隊の創設者が、政府の動きから作戦行動の詳細までを完全シミュレーションした、これぞ壮絶なリアル!

著者紹介

伊藤 祐靖
1964年、東京都に生まれ、茨城県で育つ。日本体育大学から海上自衛隊に入隊。防衛大学校指導教官、護衛艦「たちかぜ」砲術長を経て、「みょうこう」航海長在任中の1999年に能登半島沖不審船事案に遭遇した。これをきっかけに全自衛隊初の特殊部隊である海上自衛隊「特別警備隊」の創設に携わった。2007年、2等海佐の42歳のときに退官。後にフィリピンのミンダナオ島で自らの技術を磨き直し、現在は各国の警察、軍隊への指導で世界を巡る。国内では、警備会社等のアドバイザーを務めるかたわら私塾を開き、現役自衛官らに自らの知識、技術、経験を伝えている

書き出し

変化は、日付が8月14日から15日に変わろうとする深夜に起きた。

読んでみて

自衛隊にある特殊部隊を描いたフィクション。
普段、この手の本にはあまり興味が沸かないのだが、ウェブで見かけた著者の文章が興味深く、手に取ってみたところ引き込まれるようにして一気に読んでしまった。

著者自身が特殊部隊の立ち上げに携わった人間ということもあり、組織の上下関係、部隊の人間関係、個々人の思考やメンタルの状態、作戦の立案、実行、状況に応じたアレンジなど、細部の描写までがリアルで、緊張感を保ちつつも気分は高揚していく。

一方で自衛官の抱える葛藤や、構造的問題点についても触れている。
それが下記の部分だ。

安保法案で紛糾した際も、自衛隊についてはなんでもできるイメージばかりが語られたものだった。ことが起こると国民の期待を一身に受ける一方で、欠陥だらけの法律に縛られ、法を守れば役立たずと言われ、法を破れば暴力装置と言われるのが自衛隊の状況だ。

自衛官は、捕虜にはならない。なれないんだよ。日本に軍隊はないと憲法で宣言してるよな。だから軍人は存在しない。軍人じゃない人間は捕虜にはなれない。ジュネーブ条約だの何だので規定してある捕虜の権利は一切認められない。それが自衛官だ。

僕たちはいつまで目をそらすのか?

第二次世界大戦での敗戦後、日本軍は解体されたため、自衛隊は事実上の軍隊でありながら、名目上、日本に軍隊は存在しない。それどころか、自衛隊について語ることや存在自体が一種のグレーというか、なるべく触れないことが不文律となっていた節は否めない。

憲法への自衛隊明記に関しては、「戦争する気か?」のような感情的な論調の反対の声があがることもある。これに関しては自らリベラルだと思う自分でさえ過剰な反応であるように感じる。
事実を記述することと、法を曲解して暴走することは大きく異るし、それらを一緒くたに論じるのはいくらなんでも無理がある。

それどころかこのような言動によって無党派層が野党に期待することができなくなっている大きな要因であることを、野党の人間は正しく認識すべきだろう。与党に反対するのが野党の役割ではないのだ。

文民統制の是非と現場感覚の重要性

過去の悲劇や反省から、日本のみならず多くの国で文民統制が徹底されている。

この理念はとても重要だし、それ自体が問題なわけではない。
しかし、同時に知識も想像力もない人間が軍をコントロールしようとすることによって起こりうる弊害についても考えるべきなのかもしれない。作中でも、自らの政治的立場を優位にするために自衛隊を危険な任務に当たらせようとして、特殊部隊の責任者がその覚悟を問うシーンがある。

アメリカのブッシュ政権下でタカ派の文民ラムズフェルドと、ハト派の軍人パウエルという対立構造が起きたのは記憶に新しい。現場を知っている人間が自分の仲間を犬死させたいと思うことはないだろうし、自衛官だって同じ釜の飯を食い、共に命を掛ける覚悟や想像力を持った人間に決断してほしいのではないだろうか。

現場のオペレーションを理解していない人間が現場をかき乱し、士気を落とし、被害を大きくするのはビジネスの世界でもたびたび起きる。
人間性と目的遂行能力を持ち合わせた人間を選定するところまで行い、あとは現場に権限移譲して任せるべきなのだが、日本の組織はこのような権限移譲が苦手なため、組織が硬直化して柔軟性がなくなり、動きが鈍くなる。

トップダウンで大きな流れに乗っていれば問題のなかった高度経済成長期に確立し、今では古くなってしまったこれらの呪縛からいかに逃れるか。
これは自衛隊のみならず、国家の抱える問題なのだろう。

政治に覚悟はあるのか?

本書で自衛官は国家理念のためであれば命をかける覚悟があると描かれている。もちろんすべての自衛官にそのような覚悟があるとは思わないが、少なくとも特殊部隊や、現場でそれなりの立場にある人間はきっとそうだろう。

その一方で、命をかける覚悟のある人達に対して政治や法が不誠実であることは否めない。

僕は積極的な憲法改憲論者ではないが、それと同時に過去に作られた法やルールが完璧だとも思っていないし、憲法が生まれた理念や文化は大事にしつつも時代遅れのものや構造的欠陥は随時修正していくべきだと思っている。

法とは道のようなものであり、道があるから人が歩くのではなく、人が歩くから道ができるのだ。ならばその道は時代に応じて整備したほうがいい。命をかける覚悟で職務にあたっている自衛官に対して、宙ぶらりんの組織は誠実な態度と言えないだろう。

読み物としても上質

読み物として楽しめるフィクションでありながら、プロフェッショナルの視点でここまでリアリティをもって描かれているのは手嶋龍一氏の『ウルトラ・ダラー』以来である。

この手の本にはアレルギーを持ち、読む前に嫌悪感を示してしまう人もいるかもしれない。
しかし、本書に特定の政治的な主張が込められているとは思わない。

第一線で活動していた人間だからこそわかりうる問題点がリアリティを持って描かれることで、我々無知な人間に対して思考の材料を提示してくれているのだ。それどころか、本書には結果や反応がどのようなものであっても受け入れる潔さに近い誠実な意志さえ感じる。

タイトルは『邦人奪還』だが、奇しくもこの本が投げかけているのは『日本はどうあるべきか?』という思考を取り戻すことなのかもしれない。

こんな人におすすめ!

  • ボーン・シリーズなどのスパイ映画が好きな人
  • 自衛隊や憲法改正についての関心の高い人