笑いにすべてを捧げる若者のすべて

本の概要

売れない芸人の徳永は、天才肌の先輩芸人・神谷と出会い、師と仰ぐ。神谷の伝記を書くことを乞われ、共に過ごす時間が増えるが、やがて二人は別の道を歩むことになる。笑いとは何か、人間とは何かを描ききったデビュー小説。

著者紹介

又吉直樹はお笑いコンビ「ピース」として活動中のお笑い芸人。
2015年「火花」で第153回芥川龍之介賞受賞。

書き出し

大地を震わす和太鼓の律動に、甲高く鋭い笛の音が重なり響いていた。

読んでみて

又吉さんは芸人としての活動はもちろんのこと、『第2図書係補佐』というエッセイのようなブックガイドを読んでいたため、彼が読書家であることは知っていた。

そんな彼のデビュー作である本書が芥川賞を受賞して話題となり、「いつか読もう。」とずっと思っていた。本屋でそんないつかの宿題を思い出し、『お笑い芸人』としての彼に過度に期待することもなく、興味本位で読み始めた。

物語にフィットした笑い

先入観を持たずに読み始め、序盤での描写で違和感なく世界に入りこんでいた自分に、程よいライミングでやってくる『つかみ』。
主人公の徳永があほんだらというコンビで活動する先輩芸人、神谷と初めて一緒にお酒を飲んだときの会話だ。

「あほんだら、って凄い名前ですね」
「名前つけんの苦手やねん。いつも親父が俺のこと、あほんだら、って呼ぶからそのままつけてん」
瓶ビールが運ばれてきて、僕は人生で初めて人に酒を注いだ。
「お前のコンビ名、英語で格好ええな。お前は父親になんて呼ばれてたん?」
「お父さん」
神谷さんは僕の目を見たままコップのビールを一気に空け、それでもまだ僕の眼を真っすぐに見続けていた。
数秒の沈黙の後、「です」と僕はつけくわえた。
神谷さんは黒眼をギュウと収縮させて、「おい、びっくりするから急にボケんな。ボケなんか、複雑な家庭環境なんか、親父が阿呆なんか判断すんのに時間かかったわ」と言った。
「すみません」
「いや、謝らんでええねん。いつでも思いついたこと好きなように言うて」
「はい」
「その代わり笑わしてな。でも、俺が真面目に質問した時は、ちゃんと答えて」
「はい」
「もう一度聞くけど、お父さんになんて呼ばれてたん?」
「オール・ユー・ニード・イズ・ラブです」
「お前は親父さんをなんて呼んでんの?」
「限界集落」
「お母さん、お前のことなんて呼ぶねん?」
「誰に似たんや」
「お前はお母さんを、なんて呼ぶねん?」
「誰に似たんやろな」
「会話になってもうとるやんけ」

漫才である。
そう、又吉直樹はお笑いコンビでネタを書いているのだ。

くりだされる笑いは漫才だけではない。
神谷の彼女と3人の場面になった時には、コントのようになる。
会話だけではなく、人の動きや所作、状況の描写によって、目の前でコントが繰り広げられているかのような笑いが披露される。

高くなったハードルをなんなく越えてくる筆力

来る日も来る日も、ただ目の前の人を笑わせるためにしのぎを削っている若者達の話だ。
お笑いをテーマにしている以上、どんなに文章が上手くても面白くないと成立しない。そういう意味では文学作品であるとともに、最初から笑いのハードルは高いはずなのに、難なくそれを越えてくる。

彼のプロのお笑い芸人としての力量を見くびっていたことに気付かされた。

彼だからこそ書けた作品

本書は又吉さんの自伝ではないが、かなりの部分において彼の経験や性格、思考が主人公の徳永に投影されているように感じる。大声を張って、割り込んでいくようなズケズケとしたボケではなく、打席すら回って来ないなかでも打席に立ったときのことをイメージして、人知れず何度も脳内でセンスと考察を研ぎ澄ませてきたタイプのボケ。
自己を過大評価も過小評価もせず、ただ笑いを観察し、何が面白いのかを自分なりに突き詰め、それを舞台で披露する。

終盤に差しかかり、この話はどうやって終わるんだろうと気になっていたら、いい意味でホントにバカバカしい終わり方だった。くっだらねー(笑)といってニヤケ顔になって終わる。それは、楽しい漫才を観たときの終わり方に通ずるものがある。
笑いのセンスを持った言葉選びと、そのテンポの良さで最後まですらすら読める。

個性と個性がぶつかり、重なり合うところで起きる笑い、それこそが『火花』なのだろう。

こんな人におすすめ!

  • お笑いが好きな人
  • 又吉直樹の内面に興味がある人