本の概要
教授を総統とし、同じユニフォームを来て、特定の相手を糾弾するというナチスを体験する授業を通じて、ファシズムの仕組みに迫る。
著者紹介
田野 大輔氏は甲南大学文学部教授。
読んでみて
本書の構成
第1章でナチスの台頭とファシズムメカニズムを解説。第2章で体験学習の意義について、第3章では実際の体験学習の風景について、第4章で体験学習に参加した生徒たちがどのように感じたか、第5章で体験学習の進め方や課題などについて、第6章で現代におけるファシズムについて言及している。
ファシズムとは何か
ファシズムとは元々はイタリアのムッソリーニがいたファシスト党が提唱した政治思想から生まれたものだが、統一的な定義があるわけではない。ファシズムは多面的な特徴を持っているなかで、複雑化した現代社会のなかで生きる人びとの精神的な飢餓感に訴えるという本質的な特徴があり、運動が人びとを動員するやり方も似通ったものになるという。
強力な指導者のもと集団行動を展開して人びとの抑圧された欲求を開放し、これを外部の敵への攻撃に誘導するという手法である。権威への服従を基盤としながら、敵の排除を通じて共同体を形成しようとすること、そこにファシズムの根本的な仕組みがある。
ファシズムは独裁者だけでは成立しない
序盤でも言及されていることだが、ヒトラーは独裁者として暴力や恐怖で民衆を無理やり従わせたわけではなく、近年では、「合意独裁」という見方も提示されているそうだ。
ナチズムとは大衆運動であって、この運動に加わった人は多かれ少なかれ積極的にヒトラーを支持していた。
いかにしてそのような状況が生まれたのかを考える時に、スタンフォード監獄実験という題材を映画化したesという映画を例にあげている。求人広告で集めた被験者を囚人役と看守役にわけて実際に演じさせたところ、看守役の暴力がエスカレートし、途中で実験が中止になったという実話を元にした映画であり、自分も人生で衝撃を受けた映画を何本かあげるとしたら必ず上げる作品の一つだ。
看守役の被験者がエスカレートする自らの行動を正当化する心理を引き合いに出し、権威に服従している人たちは「道具的状態」に陥り、自らの意思ではなく、上の命令者の道具になっていて、何をしても責任を問われず、服従することによって、ある種の自由を得ているという。
ファシズムの教室の難しさ
体験学習のきっかけとなったのは「The Wave」というアメリカのカリフォルニア州の高校で実際に起った事件をもとにした映画だ。
(自分は未見)
安全に配慮しているとはいえ、ファシズムを再現するという授業を行うことはリスクを伴うと同時に、ものすごく勇気のいることであることは間違いないだろう。SNSの発達により、誰もが声を上げやすくなった反面、不要なノイズもかってないほど増幅されていることは確かだ。どれだけ丁寧に説明を行ったところで、読解力に乏しい見当違いな批判や誹謗中傷は避けられない。
実際に彼の授業は外部からの大学に対するクレームによって10年間行ってきたこのプログラムの教育効果を維持したまま続けることが困難だと判断し、継続を断念したそうだ。
ここには単純に思想の違いが来るものもあれば、ファシズムの思想に感化されてしまう危険性に対して危惧を抱く声もありそうだ。
このあたりはITにおけるセキュリティホール(脆弱性)の公開と似ている気がする。公開しても悪用する人間がいるし、公開しなければ知らない人間は無防備のままとなる。
著者の田野氏は体験学習のための準備から実施、その後の改善点まで共有することで、このような体験学習を発展させようとしているのがよくわかる。
日本も危うい状況である
本書では、在日朝鮮人などにヘイトスピーチを行ういわゆるネトウヨの存在にも言及している。
政権を少しでも批判すれば反日だとして、正義の名のもとに異分子を排除するような動きは確かにファシズムの構造と似ているようにも思える。しかし、自分と異なる思想だからファシズムとする考えは短絡的であり、ファシズムとはひょっとしたらもっと身近で簡単に落ちてしまう沼のようなものかもしれない。
例えば格差が拡大している現代の日本社会において富裕層に対して過度な怒りや憎悪を煽るような政党が出てきた時、普段優しく慎ましい生活をしている人もその運動に参加してしまうかもしれない。
ファシズムというレッテル貼りをし合うのではなく、誰でもファシズムの一部に取りこまれる可能性があるという危機感を持つことが大事なのだろう。そういう意味で、「ファシズムの教室」という授業の意義は多いにあり、この授業の継続を断念されたことは悔やまれる。
さいごに
教養がない人は権威に弱い。
そして、権威に服従すると人は凶暴化しやすくなる。
権力者の名のもとに、正義の側に立ちながら、責任を追うことなく、自由に不満や鬱憤を晴らすことができる。
やはり、知識と教養を身につけ、独立した思考で物事を判断することができる個人の集合体としてのコミュニティが一番強く健全なのではないか、そして自分はそのようにありたいと思うのだ。
- 政治や社会についての関心が強い人
- ファシズムに対する理解を深めたい人